日本の昔話、おとぎ話、民話

「かぐや姫」の原作、「竹取物語」について

このページは、少し難しい内容が書いてあるので、分からないことがあったら、おうちの人にきいてください。

「かぐや姫」の原作である『竹取物語』は、おそくとも平安時代初期に成立されたとされる、我が国で最古の物語であるといわれています。
作者はわかっていませんが、歌人の紀貫之(きのつらゆき)や、僧の空海などが有力視されています。

私のホームページで公開している「かぐや姫」のお話は、原作の『竹取物語』の話に沿うように、お話を進めていますが、何ヶ所か変更を加えたり、短くしたりしています。

まず、5人の貴公子がかぐや姫に求婚する場面ですが、この5人の貴公子には実際にモデルとなった人物がいます。
右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)、大納言・大伴御行(おおとものみゆき)、中納言・石上麻呂(いそのかみのまろ)の3人が実在の人物、石作皇子は多治比嶋(たじひのしま)、そして車持皇子は藤原不比等(ふじわらのふひと)がモデルであるといわれています。
中でも、藤原不比等は、有名な藤原道長(ふじわらのみちなが)・藤原頼道(ふじわらのよりみち)父子の先祖にあたる人物で、藤原氏の栄華の基礎をつくった人物としてしられます。
このような、当時の権力者の失態ともいうべき姿を物語の中で描いていることは、『竹取物語』の作者を知る手がかりになるでしょう。

ちなみに原作では、

石作皇子は、「仏の御石の鉢」を探しに行くふりをして、山寺にあった鉢を持ちかえり偽物であるとばれる
車持皇子は、「玉の枝」の偽物を職人につくらせたのはいいが、代金を支払わなかったために、嘘がばれる
阿倍御主人は、唐の商人から皮衣を購入したが、焼いてみると燃えたので、これまた偽物だとわかる
大伴御行は、「龍の首の珠」を探しに行くが、嵐に遭い船が難破する
石上麻呂は、「子安貝」らしきものを取ろうとしてつかんだ拍子に地面に転落し、しかも、つかんだのは子安貝ではなかった

というような話が、けっこう長く書かれていますが、物語としてはやや冗長(だらだらしている)なので、私の話では短めにしました。

また、物語の最後の富士山の名前の由来に関する部分も、話の流れからすれば「不死の薬」を焼いたから富士山になった、となりそうなところを、原作では、読者の意表をつくかのように、たくさんの兵士が山に登ったから「士に富む山」ということで富士山になった、としています。
この部分も、それなら、なぜ「不死の薬」を登場させたのかわかりませんし、素直に「不死の薬」を焼いたから富士山としたほうが話がきれいに感じますので、変更を加えました。

今年(2013年)は、スタジオジブリの『かぐや姫の物語』なども公開されるようで、かぐや姫はいろいろな意味で注目されそうですね。